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院長 田中康文

うつ病


人は誰でも、生活の中のさまざまなできごとが原因となって気持ちが落ち込んだり憂うつな気分になったりすることがあります。しかし、その原因が解決したり、解決しなくても、気分転換をしたりして時間の経過とともに自然に回復します。ところが、原因が解決しても強い憂うつ感が長く続いたり、思い当たる原因がないのに気分がふさぎ込んだりする状態になるのが、うつ病です。

うつ病には、気持ちの落ち込み・憂うつな気分などの抑うつ気分とともにやる気が出ない・考えがまとまらないなど脳の機能全体にブレーキがかかったような症状、さらに情緒不安定・怒りっぽいなどの情動の症状など、うつ病に特徴的な心の症状がみられます。

また、食欲や性欲などの欲望の減退、のどの異物感や眠れない、疲れやすいといった体の症状、さらに覚醒リズムなどの生体リズム、自律神経機能の障害など広範囲に及びます。

また、うつ病はしばしば不安感をともないます。不安感は以前は不安神経症とよばれていましたが、 最近ではパニック障害と全般性不安障害に分けられています。パニック障害は誘因なく突然、動悸・息苦しさ・眩暈などの自律神経症状を伴い、自分は死んでしまうのではないかと思うほどの強い不安が生じるのが特徴です。

一方、全般性不安障害とは、不安の程度は軽いですが、さまざまな気苦労や心配がずっと続き、クヨクヨと考えて不安になったり、そわそわと落ち着きがなく、緊張するなど、制御困難な不安感、イライラ、睡眠障害、筋緊張などが持続する状態を指します。これらの症状はストレスにより悪化し、うつ病を伴うことが多いとされています。

うつ病はその人がもともと持っているうつ病になりやすい性質と環境的な要因によるストレスが関係していると考えられています。 西洋医学的には、脳内のセロトニンやノルアドレナリンなどの脳の神経の情報を伝達する物質の量が減っていることが分かってきています。そのため、最近では抗うつ作用を発揮させる薬物治療が主流となっています。そのほかには、不安や緊張を和らげる抗不安薬や眠りを促す睡眠薬などがもちいられています。

しかし、これらの抗不安薬や睡眠薬は薬物依存性があり、また薬をやめた時に症状がしばしば再燃するため、継続的に飲み続ける必要があります。これらの薬剤は筋弛緩作用もあり、立ち上がる時の脱力により転倒・骨折する危険性もあります。これらの背景により、漢方薬による治療が最近、見直されつつあります。

中医学(中国医学)ではうつ病はうつ証という広い疾患概念に含まれます。

うつ証のなかには月経前緊張症、更年期障害、慢性疲労症候群、不安神経症、自立神経失調症などの症状も含まれます。うつ証は、精神的抑圧から精神のバランスが崩れ、その影響で体内の「気」の流れがスムースに流れなくなってしまい鬱々とした気分が続いている状態とされています。そのため、うつ病以外のうつ症状もすべてうつ病と同じ考え方と治療を適用することができます。 気の生成や流れに関連する臓腑として、肺、脾(胃腸)、肝があげられます。

肺は空気を取り入れ、脾は食物から気血を生成し、肝はこれらの気を身体全体に配るなど、気の流れに最も強く関係しているのは肝とされています。肝は木気の性質そのものといわれています。春に土から芽を出した草木が上へ上へと伸びて行く姿は木気によるものです。しかも、それは雨風や寒い時は身をかがめるように成長を遅らせ、日が照ればすくすく伸びて行くという柔軟性を伴っています。このような柔軟性や昇発が損なわれると、暴発したり、成長を止めたり、折れ曲がったり、あるいは間違った方向に転ずることになります。

憂うつ、怒り、ストレスなどの精神的な要素によって肝の気の流れが失調すると、肝気のめぐりが停滞すると肝気鬱結(気うつ)が生じます。その典型的な症状としては、精神抑うつ、落ち着かない、情緒不安定、ため息が多いなどがみられます。気というのはエネルギーですから、気の流れが悪くなるりエネルギーが溜まると、熱を帯びることになるので、肝気が鬱結して長引くと化熱し、肝火となって上昇して心に及ぶと心火となりイライラ、怒りやすいなどの熱の症状が出ます。 これらは、うつ状態や全般性不安障害でよくみられる症状です。

治療としては、鬱滞した肝気を改善して、気の巡りをスムースにし、うつ状態を解消します。四逆散、抑肝散、越鞠丸などを用います。熱を伴った場合(気鬱化火といいます)であれば清熱するために、加味逍遥散、柴胡 加竜骨牡蛎湯、柴胡清肝湯、大柴胡湯あるいは大柴胡湯去大黄などを用います。

さらに気の流れの悪さが水液の滞りを招くと、ノドの中に異物感があり飲み込んでも下がらず出そうとしても出ない症状(ノドの異物感、梅核気といいます)や胸がもやもやして脹り 胸苦しい感じが生じた場合は、痰湿(水液)を除去し、気の巡りを良くして、うつ状態を解消します。半夏厚朴湯、柴朴湯、柴陥湯、竹茹温胆湯などを用います。

また、肝気が停滞して血を動かす力が弱まると、血が滞る症状が出ることがあります。このような症状は更年期障害や月経前緊張症などでよくみられる状態です。加味逍遙散がしばしば用いられ、そのほかには肝気鬱結の薬に桂枝茯苓丸などを合わせます。

肝気鬱結により脾胃の機能が低下すると、神経性胃炎や胃潰瘍などがみられ、抑肝散加陳皮半夏を用いたり、あるいは四逆散に六君子湯などの胃腸薬を合わせます。このように肝気鬱結が鬱証の主要な原因である初期段階では気の流れを調節する治療が中心となります。しかし、肝気鬱結の状態が長期化すると体内の各臓腑に影響します。

中医学において脾(胃腸)は気血を生む源といわれます。

肝鬱により、脾の消化・吸 収・運搬機能が損なわれると、気血不足が生じます。また、肝は血を貯蔵しているといわれ、そのため、長期にわたる肝鬱は肝血を消耗すると同時に、心血も不足します。心血は精神を宿し(心の蔵神機能といいます)、そのため心血が失われ(心血虚) 心の蔵神機能が影響をうけると精神的な症状が悪化します。また肝と腎の2臓は肝腎同源ともいわれ、肝が傷害されると腎も損なわれることが多く、長期的な肝血虚は肝と腎の潤いも失われ肝腎陰虚という状態になり、その結果、しばしば熱の症状も伴うことがあり、老人性の鬱証に多く見られ、治療は腎から考える必要があります。

以上から、心血が損なわれると心神失養、心血と脾気の療法が損なわれると心脾両虚、腎に及ぶと陰虚火旺という状態になります。 心神失養では、不安感が強くなり、落ち着かずいてもたってもいられない、喜怒哀楽が激しい、動悸や不眠がみられます。 治療としては養心安神と言って心を養ってリラックスさせる目的の治療をします。 酸棗仁湯や甘麦大棗湯、桂枝加竜骨牡蛎湯などが用いられます。 心脾両虚ではさらに食欲不振、下痢などの消化器症状を伴い、倦怠感、話すのが億劫、息切れなどがみられます。これらはパニック障害でよくみられるような症状です。

治療としては、脾(胃脹)を立て直して心を養ったり、気を増やして血を補ったりします。帰脾湯や加味帰脾湯、柴胡桂枝乾姜湯などが用いられます。 肝腎陰虚では眩暈、動悸、入眠困難、怒りっぽい、生理不順のほかに、のぼせ症状など、上半身にでやすい陰虚火旺の症状が特徴的です。 陰虚火旺は加齢に伴って悪化することが多く、治療としては滋陰清熱といって陰液を補い、熱を下げる治療をおこないます。 知柏地黄丸や六味丸、天王補心丹などを用います。


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