腎不全とは、腎臓の働きが正常の30%以下に低下した状態のことをいいます。
腎不全には、急性と慢性がありますが、急性腎不全は脱水やショック状態、薬剤などにより、腎機能が数日以内に急激に低下し、適切な治療によって腎機能が回復する可能性があります。一方、慢性腎不全は、数カ月から数十年かけて、腎機能が徐々に低下し、腎機能の回復は見込めず、最終的には、透析や腎移植をする必要が出てきます。
腎臓は、お腹の後ろ側、背骨を挟んで左右に1個ずつあり、握りこぶしほどの大きさで、ソラマメのような形をしています。腎臓には、「ボーマンのう」と呼ばれる袋があり、その中には細い血管が糸玉状になっている「糸球体」が入っています。ここで心臓から送り出されてきた血液をこしだし「尿細管」へ送ります。
尿細管では、体に必要なものを選択して血液中に再度とり込んだり、体にとっていらないもの(余分な水分、老廃物など)は尿として捨てられます。
慢性腎不全では、腎機能の低下にともなって、さまざまな症状があらわれます。腎不全の状態が進行すると、尿が作られなくなり、尿の量が減ります。水分が体の中にたまると、むくみや高血圧などが起こります。さらに、老廃物が体の中にたまると、疲労感、食欲不振や吐き気、頭痛などがあらわれ、進行すると、けいれんや意識障害を起こします。老廃物として、蛋白質の燃えかすとして尿素ができます。この物質の血中濃度を尿素窒素(BUN)と呼びます。クレアチニン(Cr)とは、筋肉内に存在するクレアチニンより生じる物質で、腎臓の機能を知る目安となります。正常の腎臓の機能では、これらは尿と一緒に排泄されます。そのほか、赤血球を作るホルモン(エリスロポエチンといいます)が作られず貧血になる、ビタミンDが活性化されず骨がもろくなる、といった異常も起こります。
このような慢性腎不全に対して、西洋医学的には最終的には透析や移植といった治療手段がありますが、それまでに至る経過を遅らせたり、防いだりする手段はありません。患者にとってはただその時期が来るまで待つしかなく、その精神的な苦痛は計り知れないもがあります。
漢方的にもかつては決定的な治療はありませんでしたが、私が尊敬する今は亡き江部洋一郎先生は、彼の創案した経方理論の観点から慢性腎不全の病態を考察し、その理論を応用して、養腎降濁湯を考案されました。そして、共同研究者の橋本先生らとともに、この処方を用いて慢性腎不全に対する治療例を2004年から発表されてきました。
これらの症例の原疾患は、慢性腎炎、痛風腎、糖尿病性腎症、多発性腎嚢胞など多岐にわたりますが、いずれも改善が見られています。
その症例報告の中には重症例も含まれ、治療開始後より3年を経過してもクレアチニンの値が上昇せず、むしろやや低下した症例、血液透析の準備段階にありながら1年以上にわたって進行していない症例、すでに血液透析中であるにもかかわらず、尿量増加とクレアチニン値の改善が見られ、透析回数を減らすことが出来た症例などなどが含まれています。
このように養腎降濁湯により、透析に至る時期を遅らせたり、あるいは進行させないことができるようになりました。しかし、この養腎降濁湯は西洋医学の世界ではほとんど知られておらず、あるいはたとえ知っていたとしても無視されているのが現実で、西洋医学だけが唯一の医学と勘違いしている医師が大変多く、患者にとっては大変な不利益を被っています。
中医学的には慢性腎不全の状態を「血中の濁の過剰」と捉え、この過剰な濁を「血中の過剰な水」を下降させる経路に乗せて去るのが、腎不全に対する漢方治療の考え方です。したがって、養腎降濁湯は、芍薬、黄耆、山帰来、ヒカイなど、水をさばくと同時に過剰な水と濁の下降を強化する生薬の組み合わせで処方が構成されています。
ただ、症状に応じて、また検査データの値により生薬の量を加減する必要があります。
腎不全では、カリウムが尿から排泄されず、血中にカリウムが多くなります。カリウムの血中濃度が異常に高くなると、心臓が止まることもあります。血中のカリウムの要注意値は5.5以上 危険値6.0ですので、養腎降濁湯の甘草と茯苓の量を血中のカリウムの濃度に応じて調節する必要があります。また養腎降濁湯には幾つかの問題点があります。
①黄耆を用いると発疹が出現することがあります。この場合、保険外の晋黄耆を用いると薬疹はでなくなります。
②クレメジンなどの吸着剤を同時に服用すると養腎降濁湯の効果が現れなくなります。この場合、クレメジンを中止にするか、あるいはクレメジンとは2時間以上空けて服用する必要があります。
③クレアチニン高値の方は透析回避は難しいです。クレアチニン値が6~7mg/dLを超えている方は、透析導入を1~2年遅らせることは可能ですが、透析を回避させることは難しいです。
④蛋白尿は改善しません。
⑤貧血に対しては効果がありません。貧血に対してはエリスロポエチンの注射が必要です。
最後に、江部先生達が報告したその1例を紹介します。
患者さんは71歳の男性。1988年に慢性腎炎と診断され、ずっと治療を受けていましたが、透析が必要と言われ、漢方薬で透析治療の開始を遅らせたいとの希望で来院したそうです。このとき、クレメジン、カリメート、ダイアート、ブロプレスなどの薬を服用中で、検査値は、尿素窒素86.7mg/dl、クレアチニン6.1mg/dl、尿酸 6.2mg/dl、血清リウム 5.0mEq/l、ヘモグロビン8.0g/dlとかなり悪く、もはや血液透析は避けられない状態でした。
この患者さんに対して、煎じ薬の養腎降濁湯が処方されました。
1カ月後、検査値は尿素窒素 63.0mg/dl、クレアチニン3.2mg/dl 、血清カリウム4.0mEq/lに改善。初診より3ヶ月後には尿素窒素59mg/dl、クレアチニン2.7mg/dl、血清カリウム3.0mEq/lとさらに改善がみられました。そこでカリメートとクレメジンを中止しました。更に2ヶ月後、尿素窒素55.4mg/dl、クレアチニン2.6mg/dl、血清カリウム4.0 mEq/lとなっており、その後、とても良い経過をたどっています。