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院長 田中康文

おやつ


「お茶にしよう」と声を掛け、お茶と共に煎餅などのおやつ菓子を食べることは、日本ではよくある風景ですね。この「おやつ」とは間食のことを指します。おさんじとも呼ばれます。英語表記の場合は「OYATSU」と書かれます。

「おやつ」は日本で生まれたすばらしい言葉です。現在では、おやつは軽食やスナックとは少し意味合いが異なり、コミュニケーションをとる手段になります。普段あまり話しをしない人と話をするチャンスとなります。また、仕事の合間の気分転換にもなります。

どんな時でもおやつの時間だけは平和に過ごすことができ、おやつを前にすると人はみな平等になります。

おやつの「やつ」は、午後二時から四時までをさす江戸時代の和時計「八つ」から来ています。和時計とは江戸時代から明治初期にかけて作製、使用された時計です。江戸時代の時刻制度には「十二支」が出てくる呼び方と「数」の二通りの呼び方がありました。 卯(う)=六(むつどき) 明け六つ(日の出・明け方) 辰(たつ)=五(いつつどき) 巳(み)=四(よつどき) 午(うま)=九(ここのつどき) 正午(お昼) 未(ひつじ)=八(やつどき) ←(おやつ) 申(さる)=七(ななつどき) 酉(とり)=六(むつどき) 暮れ六つ(日の入り・夕方) 戌(いぬ)=五(いつつどき) 亥(い)=四(よつどき) 子(ね)=九(ここのつどき) 午前0時(真夜中) 丑(うし)=八(やつどき) 寅(とら)=七(ななつどき) 卯(う)=六(むつどき) 明け六つ(日の出・明け方)

数字での呼び方はちょっと変わっていて、九つから始まって四まで下がるとまた九つに戻るというおもしろい数え方になってます。九で太陽が真上または真下、六で太陽が地平線にいる状態ということになります。 すなわち現在の時計の12時と6時、つまり最上部と最下部を【九】としそこから八→七→六→五→四、と四まで下がった次は再び【九】へと戻ります。 読みとしては「ここのつどき」、「やつどき」、「むつどき」などとなります。 1日の長さを12等分などに分割する時刻制度を定時法といい、現在は24等分しています。 これに対して、1日を昼と夜に分け、その各々を等分に分割するのを不定時法といいます。 江戸時代では時の基準を夜明け(明け六ツ)と日暮れ(暮れ六ツ)とし、これを境に1日を昼間と夜間に分けその各々を6等分しました。そのため、昼と夜の長さは季節によって異なるため、分割した単位時間の長さも変わりました。 時の呼び方は、1昼夜12の刻に十二支を当て、子(ね)の刻、丑(うし)の刻などと呼び、別に子の刻と午の刻を九ツとして、八ツ、七ツ、六ツ、五ツ、四ツの数での呼び方もしました。しかし、この呼び方だと1日に同じ数が2度あるので、夜の九ツ・昼の九ツ、明け六ツ・暮れ六ツなど、昼夜、明暮などの区別が必要でした。

「丑三つ刻」と聞いたことがありますか?これは一刻を4等分にして表現する方法もあった為です。つまり「丑の刻」の時間帯を「四つに割った内の三つ目」の刻という事です。

未の刻は現在の時間で、およそ「午後2時から午後4時」あたりの事となりますが、別の呼び方をするとこの時間帯は「やつどき」です。本願寺では、お寺の修行僧に午後2時頃、修行開始の合図として太鼓を叩いていたことから、敬語の「お」がつき「お八つの太鼓」とと呼んでおり、この呼び方が広まっていきました。

この事から「八つ刻」に接頭語の「お」をつけ「おやつ」の言葉が生まれました。 日本では古くは食事は朝夕のみの1日2食でしたが、農民たちが体力維持のため休憩時に軽食をとり、これを中食(ちゅうじき)、間食(かんじき)などと呼びました。一日三食が普及し始めたのは江戸時代の元禄の頃(1688年~1704年)とされています。

この時、江戸の大半を焦土と化した明暦の大火(1657年3月2日)という大火事が起こります。この時に江戸の復旧の為に尽力した職人達に昼食を振舞い、これが間食ではなくメインの昼食としての食文化が始まったきっかけとなっています。 江戸時代に入り、次第に蝋燭が庶民の間にも普及し始め、その結果人間の活動時間が徐々に伸び始めます。二食である理由は「活動時間が短いためであり、活動時間が延びれば当然エネルギーが必要になります。そして、明暦の大火で昼食が振舞われていた背景も相まって、次第に朝、昼、晩の食事リズムが定着し始めました。 このように江戸時代の元禄時代には1日3食が一般化しましたが、このころから「おやつ」の語が出現しました。明治以降は時刻の数え方が変化したため、「お三時」というよび方も生まれましたが 「おやつ」ほどは定着していません。

茨城・栃木・福島弁で「こじはん」という方言があります。これは農家の人たちは肉体労働が主でしたので、午前と午後に軽く食事をするのが慣例となっていました。量的には少なかったので、北関東地方ではコジューハン(小昼飯)と呼んでいました。小さな昼飯という意味です。このコジューハンがなまって、コジハンというようになりました。 コジハンとして用意された食べ物は、主に握り飯、団子、野菜の漬け物などでした。3時頃になると、あちこちの田んぼや畑の片隅で、コジハンを食べながら、家族そろって談笑していました。

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